李舜臣将軍の息吹が宿る、麗水の鎮南館、10年の修復工事を経て6月30日に一般公開へ
- 登録日
- 2025.06.12 09:22
- 照会数
- 136
- 登録者名
- 여수시청
韓国・麗水市、195億ウォンを投じ構造的な安全性を確保
護国の歴史聖地として知られる麗水の「鎮南館」が、10年におよぶ解体修復工事を終え、6月30日に正式公開される。
麗水市によると、李舜臣(イ・スンシン)将軍が朝鮮水軍の本営(全羅左水営)として使用した鎮南館は、長年の風雨と経年劣化により、建物のねじれや地盤の浸食といった構造的な安全問題が発生。これを受け、2015年12月9日から本格的な修復工事に着手していた。
これまでにも、日本による破損や、海辺特有の湿気、白アリの被害などで何度か修復されてきたが、建物全体を一度解体しての修復は今回が初めてである。
市は、解体により取り出した68本の柱を、日帝時代以前の原型である70本に復元し、そのうち10本を新調。さらに、礎石70個と約6,000点の木材部品は可能な限り再利用した。
また、棟木(建物の主梁)16本のうち1本を交換。屋根には、伝統的な手法で焼き上げた瓦5万4,000枚を使用し、傾いていた柱や曲がった軒を正した。
建物の名前を記す「扁額(へんがく)」については、大部分が損傷しており、耐久性の確保が難しいと国家遺産修理技術委員会が判断。これを受け、新たに制作した扁額を掲げ、元の扁額は保存処理のうえ、今年開館予定の麗水博物館で展示される予定である。
市の関係者は「鎮南館の再公開を皮切りに、全羅左水営東軒歴史文化公園の造成や、三道水軍統制営(初代水軍本部)旧跡を活かした歴史街道の整備にも着実に取り組み、麗水の歴史的アイデンティティを象徴する文化空間として育てていきたい」と述べた。
なお、鎮南館は八作屋根の平屋建てで、正面15間、側面5間、延べ床面積780㎡の規模を誇る。現存する地方官庁の建築物としては韓国内最大で、1963年に宝物に指定され、2001年には国宝に昇格。麗水で唯一の国宝に指定された文化財である。
文禄の役(壬辰倭乱)直前の1591年、李舜臣将軍は全羅左水営の水軍司令官として赴任し、「鎮海楼」という楼閣に滞在しながら戦への備えを行った。鎮海楼はその後、慶長の役(丁酉再乱)で倭軍によって焼失するが、1599年、三道水軍統制使の李時彦(イ・シオン)によりその跡地に75間規模の迎賓館「鎮南館」が建てられた。
その後、鎮南館は1716年に当時の全羅左水使・李汝玉(イ・ヨオク)の在任中に火災で焼失するが、2年後の1718年に同じく全羅左水使であった李済冕(イ・ジェミョン)によって再建された。
護国の歴史聖地として知られる麗水の「鎮南館」が、10年におよぶ解体修復工事を終え、6月30日に正式公開される。
麗水市によると、李舜臣(イ・スンシン)将軍が朝鮮水軍の本営(全羅左水営)として使用した鎮南館は、長年の風雨と経年劣化により、建物のねじれや地盤の浸食といった構造的な安全問題が発生。これを受け、2015年12月9日から本格的な修復工事に着手していた。
これまでにも、日本による破損や、海辺特有の湿気、白アリの被害などで何度か修復されてきたが、建物全体を一度解体しての修復は今回が初めてである。
市は、解体により取り出した68本の柱を、日帝時代以前の原型である70本に復元し、そのうち10本を新調。さらに、礎石70個と約6,000点の木材部品は可能な限り再利用した。
また、棟木(建物の主梁)16本のうち1本を交換。屋根には、伝統的な手法で焼き上げた瓦5万4,000枚を使用し、傾いていた柱や曲がった軒を正した。
建物の名前を記す「扁額(へんがく)」については、大部分が損傷しており、耐久性の確保が難しいと国家遺産修理技術委員会が判断。これを受け、新たに制作した扁額を掲げ、元の扁額は保存処理のうえ、今年開館予定の麗水博物館で展示される予定である。
市の関係者は「鎮南館の再公開を皮切りに、全羅左水営東軒歴史文化公園の造成や、三道水軍統制営(初代水軍本部)旧跡を活かした歴史街道の整備にも着実に取り組み、麗水の歴史的アイデンティティを象徴する文化空間として育てていきたい」と述べた。
なお、鎮南館は八作屋根の平屋建てで、正面15間、側面5間、延べ床面積780㎡の規模を誇る。現存する地方官庁の建築物としては韓国内最大で、1963年に宝物に指定され、2001年には国宝に昇格。麗水で唯一の国宝に指定された文化財である。
文禄の役(壬辰倭乱)直前の1591年、李舜臣将軍は全羅左水営の水軍司令官として赴任し、「鎮海楼」という楼閣に滞在しながら戦への備えを行った。鎮海楼はその後、慶長の役(丁酉再乱)で倭軍によって焼失するが、1599年、三道水軍統制使の李時彦(イ・シオン)によりその跡地に75間規模の迎賓館「鎮南館」が建てられた。
その後、鎮南館は1716年に当時の全羅左水使・李汝玉(イ・ヨオク)の在任中に火災で焼失するが、2年後の1718年に同じく全羅左水使であった李済冕(イ・ジェミョン)によって再建された。


